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浅見和彦訳注『十訓抄』新編日本古典文学全集51 小学館


先日、突然博雅の三位の話が読みたくなって『今昔物語』を読んだ。ところが、私の勘違いで、朱雀門の鬼とセッションする話は『十訓抄』に、篳篥の音で泥棒を改心させる話は『古今著聞集』に、それぞれ収録だった。なので、次は『十訓抄』だ。

タイトルからも分かるように、10の教訓を「実例(と著者が考えているもの)」を挙げて説いている。例えば、藤原顕季と源義光が荘園を争った。理は顕季にあったが、義光に譲った。それにより、義光は顕季に従うようになった。だから、むやみに欲を出さない方が良い結果がある。といった感じの話の展開が多い。目的が「教訓を説く」ことであるので、それぞれのエピソードは著者の主張に沿った順に並べられ、全体として構造化された文章になっている。

現代人の目から見ると、不可能であったり滑稽であったりするエピソードも多いが、当時の人の考え方がよく分かって興味深い。また、他人に「笑われ」ないようにとの戒めが目につく。これは、現代人が失った感覚ではないか。私が小さかった頃、亡くなった母がよく「そういうことをするとひとに笑われる」と言っていた。つい最近まで、世間の目と、笑われることを恥とする考えが、日本人の行動の抑止力になる文化が生きていたのだろう。いずれにせよ、『十訓抄』では、個人は文化に逆らわず、社会の規範に沿って生きることを薦める。一方、現代では、個人の中で独自の価値観が確立することの方を大切にする。この差は大きいと、読んでいてひしひしと感じた。これは『今昔物語』を読んでいるときには感じなかったことで、この辺にも『十訓抄』を読む価値があるのではないかと思う。

もう一つ感じたのが、エピソードから教訓を説くのではなく、教訓からエピソードを説いているように思えることだ。歴史上の出来事には多くの側面があるだろうが、そのうち、教訓にとって都合の良い側面からのみエピソードを語っている感が強い。読んでいて「そりゃ~他の見方も出来そうだな」ってツッコミを入れたくなることも多いのだ。

とは言え、収録されているエピソードは、なかなか面白いものがある。ある客が会に遅れて行ったところ、自分の膳には箸がない。主催者の嫌がらせなのだが、客は平気で袂からマイ箸を出して食べたなど、味のある話もあって、興味深かった。


更新:2012.12