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鉄橋


書誌

シリーズ
黄いろい場所からの挿話 V
所収
『霧の聖マリ』中央公論社, 1975
『霧の聖マリ』中央公論社(中公文庫), 1992
初出
『海』6巻9号(1974年9月号)

設定

舞台
南フランスのロマネスク教会で有名な谷間の町→海辺の町・南イタリアの漁港
アイテム
トラック運転手の黄色い合羽・アンナの黄色いレインコート
時代
私3がエマニュエルに出会った翌年の夏の終わり
(執筆時は1963年ごろ→菫IXで1959年ごろに変更)

人物

私(私3)
日本人。南フランスを一人で旅し、南イタリアの漁港でエマニュエルと落ち合う。
エマニュエル
私3の恋人。夏はずっと母方の親類と過ごす。夏の終わりに私3と落ち合う。
トラック運転手(バジル)
50歳前後。父親がフランス鉄道院の鉄橋技師。
鉄橋技師
トラック運転手の父親。
鉄橋技師の妻
トラック運転手の母親。技師が植民地の奥地で仕事をしている間に、他の男と駆け落ちする。
アンナ
南イタリアの漁港のホテルで働いている。母がフランス人。トラック運転手のもと恋人?

考察

執筆時の本挿話の年代

本文中に年代が分かる記述はない。

黄色い場所の挿話群には、夏のエピソードが4つある。

1. 本挿話と、黄VIの夏
夏の間はずっとエマニュエルはリモージュにいた。夏の終わりに、私3と二人で南イタリア・シチリアに旅行。
2. 黄VIIIの夏
二人でチロルで夏の3週間を過ごす。エマニュエルは次の学期に論文を書き、卒業または修了予定。
3. 黄XIの夏
二人でエマニュエルが幼少期を過ごした村に、夏の終わりまで少なくとも1週間は滞在。
4. 黄XIIの夏
ノルウェイのウタ・シュトリヒの故郷で一夏を過ごす。

以上4つの夏は、季節が重なるため、それぞれ別の年の夏と思われる。

順番はよく分からないが、4.の夏はエマニュエルの友人のウタ・シュトリヒが博士論文の準備をしているので、エマニュエルも大学院の博士課程に在籍していると思われる。

のちに、菫Iで、エマニュエルの博士論文について言及があるので、2.の論文は修士論文であろう。

よって、2.の夏はエマニュエルが修士課程1年から2年に上がる夏(フランスは9月に新年度が始まる)、4.の夏は博士課程1年から2年への夏以降と考えられる。とすると、1.~4.の夏の年は連続しており、1.がエマニュエルが学部3年から修士1年にあがる夏(フランスの大学は3年制)、2.が修士1→2年、3.が修士2年→博士1年、4.が博士1年→2年と考えてもよさそうである。そうすると、4.の翌年の秋(博士3年)に、エマニュエルが8か月の予定でアメリカへ渡り、論文を書くことにも自然につながる。

このほか、黄IXに、夏にエマニュエルと南仏の友人のヴィラにいたときという話が出てくる。これは上の4つの夏のいずれかと同じ夏と考えた方が、上記のエマニュエルの学歴に無理なく合うであろう。

また、1.の夏の前に黄IIIがあり、そのしばらく前、おそらく前年に私3がエマニュエルと知り合っている。

以上より、本挿話の時期は、エマニュエルが大学院に進学する夏であり、私3がエマニュエルと知り合った翌年、1963年ころを想定して書かれたと考えられる。

菫いろの場所で変更された後の年代

上記のように、黄色い場所での記述から、エマニュエルがアメリカに行く前、私3と5年程度付き合っていたことが分かる。

ところが、菫IXで、エマニュエルと私3が「そんなに昔ではなく、あなたと初めて知り合った頃・・・・・・」「というと、七、八年前?」と会話する場面が出てくる。これはエマニュエルがアメリカから帰って2年後の場面で、エマニュエルは4年間アメリカにいた。そのため、私3とエマニュエルが出会ってから、エマニュエルがアメリカに行くまでは1~2年ということになってしまう。

黄色い場所の執筆時には5年の期間として書かれたものを、後に1~2年に圧縮しているため、無理が生じて整合性のある年代の再設定は難しい。ここでは、エマニュエルが私3と出会ってからアメリカに行くまでは2年ほどとし、本挿話はその前半の期間の1959年ごろの出来事としておく。


更新:2013.03