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祭の果て


書誌

シリーズ
赤い場所からの挿話 XI
所収
『夏の海の色』中央公論社, 1977
『夏の海の色』中央公論社(中公文庫), 1992
初出
『海』8巻7号(1976年7月号)

設定

舞台
東京
アイテム
安藤の妻が買った赤い達磨
時代
私2が旧制中学3年の4月~年末

人物

私2
本文中では「私」。
私1
本文中では「父」。アメリカで農業・工業・労働問題関係の仕事をしている。
入院中。
仁木
本文中では「叔父」。母の弟。小説家。
安藤甚三
私2の中学の新任国語科教師。
安藤の妻
下町のかなりの寿司屋の娘。
榊原・酒井
私2の中学の教師。

考察

私2の学年

文中、私2の学年には言及した所はない。赤XII で母が退院し、それが私2が中3の学年末であるので、それ以前であるのは間違いない。

この挿話の年代を考えるときに問題になるのは、「ぼくは十五だ」の台詞だろう。数えで15であれば私2が旧制中学2年のときのエピソードになり、満で15であれば3年のときのエピソードになる。本挿話以外で私2の年齢が語られる赤III では、数え年であった(詳細は赤III の考察参照)。本挿話での「十五だ」も数え年と考えると、本挿話は 赤X と同時進行になってしまうが、それは不可能である。赤X での記述から、赤X で語られる年には私2はずっと英二の母に預けられており、内容が合わない(詳細は赤X の考察参照)。

しかし、赤X の学年決定の理由にも弱いところがある。赤X の考察 では、私2は旧制中学2年生であるとしたが、 それは、本文中の、私は、話の内容から、二人が二年は上級生であることがわかったがが、「二年上級」ではなく「二年上級」と書かれていることを根拠としている。しかし、著者がそれほど厳密には書いていないこともあり得る。と考えると、結局、本挿話と赤X の前後関係を考えざるを得ないであろう。

単行本版のあとがきに、もちろん同色の挿話Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ・・・・・・は、ある物語的な進行を示しますし、直接物語的な進行を持たない場合には、主人公の内的発展が辿られるはずです。とある。ここから、挿話番号が早い 赤X が先に起こり、本挿話が後に起こる、つまり、赤X は私2が中2のとき、本挿話は私2が中3のときであり、先の「十五だ」は満年齢であるという考えも成り立つ。だが、赤い場所からの挿話では、必ずしも挿話番号が後であれば時代も後になっているわけではない。

赤X が先だとした場合、私2は、中3の秋に英二の母の家から安藤の離れに引っ越し→中3の12月にどこかへ引っ越し→中3の3月に 赤XII の舞台となる路地の家に引っ越し、ということになる。一方、本挿話が先だとすると、私2は、中2の秋に英二の母の家から安藤の離れに引っ越し→中2の12月に英二の母の家へ戻る→中3の3月に路地の家に引っ越し、となる。

今はいずれとも決めがたいので、とりあえず赤X の考察の考えを生かし、私2の学年は、赤X のとき旧制中学2年、本挿話では旧制中学3年と考えておく。これについては、橙XI の考察も参照。


更新:2012.11