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風雪


書誌

シリーズ
赤い場所からの挿話 VII
所収
『夏の海の色』中央公論社, 1977
『霧の聖マリ』中央公論社(中公文庫), 1992
初出
『海』7巻7号(1975年7月号)

設定

舞台
東京
アイテム
人形芝居の赤い衣装の人形
時代
前半:私2が小学4年生の夏
後半:私2が小学6年生 → 橙XIVで、私2が小学5年生に変更

人物

私2
本文中では「私」。
私1
本文中では「父」。アメリカに派遣される前。
後半は入院直前で、寝ていることが多い。
川上源太郎
母の従兄。本文中では「遠縁」。満州在住だが、東京へ出てきた。

考察

後半、川上さんが2度目に来たときの私2の学年

母が療養所へ入ったのはそれから間もなくでより、赤III の直前の話であることが分かる。赤IIIは、当初私2が小学6年生としての執筆されるが、後に赤XIIIで小学5年生に変更されている。もし本挿話が赤IIIの設定によるのであれば、私2が小学校6年生のときのエピソードになるし、赤XIIIの設定に従うのなら、小学校5年生のときのエピソードになる(この点に関しては、私2の学年の問題を参照)。

本文からはどちらとも決めかねるが、次の赤VIIIが赤IIIの設定で書かれたと考えられるので(詳細は赤VIIIの考察参照)、本挿話も学年を早める前、私2が小学6年生のときを想定して書かれたとしておく。それが、後に赤XIIIで、赤IIIに連動して一年繰り上げられ、私2が小学5年生のときに変更されたと考えられる。

前半、川上さんが初めて来たときの私2の学年

団扇をとって静かに川上さんを煽ぎながら川上さんは汗を拭き、扇子をしきりと動かしてより、季節は夏である。

学年については、文中に満蒙の生命線で骨身を砕いておるの台詞があり、帝国議会での松岡洋右の「満蒙はわが国の生命線」発言が1931年1月であることから、それ以降であることが推測できる。私2の学年と暦年代との対応が赤I赤IIで考察した設定(詳細は 赤I赤IIの考察 参照)に従っているとして、1931年以降で小学校6年生以前に当てはまるのは、小学校4・5年のみである。加えて、文中の「これは、どうだ」川上さんは頓狂な声をあげた。「大きくなりましたなあ。これじゃ外で会ったらもう分かりませんな。」より、川上さんが2度目に来たときとあまり接近していない時期が自然であろう。

以上より、前半は私2が小学4年生の夏の出来事として執筆されたと考えられる。この場合、私2が小学校4年に進級した年が、1931年ということになる。


更新:2012.12