本棚>ある生涯の七つの場所ノート>挿話

秋の別れ


書誌

シリーズ
橙いろの場所からの挿話 V
所収
『雪崩のくる日』中央公論社, 1979
『雪崩のくる日』中央公論社(中公文庫), 1992
初出
『海』10巻8号(1978年8月号)

設定

舞台
谷間の町
アイテム
田原家の屋根の橙いろの屋号
時代
私2が旧制高校2年の年度末~3年の晩秋

人物

私2
旧制高校生。
秋山貞二
私2が通う高校の一年先輩。卒業後、帝大法科に進学。
鳥見茂
私2が通う高校の同級生。本文中には「鳥見」と書かれ、名は出ない。
田原紀一郎
谷間の町にある旧家の当主。秋山の遠縁。大学を休学中。
田原紀一郎の母
五十五、六の品のいい面長の婦人。
高村みゆき
17前後の綺麗な顔立ちの娘。川で石を集めて売り、家計を助けている。
高村みゆきの母
田原家の奉公人。
高野・皆川
私2が通う高校の山岳部のメンバー。
大沼直衛
名前のみ登場。私2の友人。男爵家の若当主。

考察

私2の学年

本文中の高等学校に入って二年目の学期末試験が終った日私はその後初夏に一度、夏に二度、谷間の田原家に遊びにいった。田原紀一郎から手紙を貰ったのはその年の秋おそくなってからである。の記述から、私2が旧制高校2年の年度末から、3年の晩秋にかけてのエピソードである。

本挿話での私2の考え方

この挿話だけ、私2が持っている考え方が、他の挿話と違っている。本文中に、私に言わせれば、山男はただ山に登り、疲れて眠ればそれでいいのである自然は戦うもの。都市は管理するもの。それで十分じゃないか。いや、それ以外であっては本当はいけないんだ。ぼくは酒だけを飲むね。ただ飲む。風流とか、庭とか、月とか、花とか、下らんよ。酒を飲んで、酔ったら寝るんだ。それだけでいいのさなど、人間の感傷や感覚を否定する発言が目立つ。

例えば本挿話に先行する橙IV や、本挿話に続く橙VI では、自分の最上の力を傾け、あとは快適な生活をするんです」/私は初山草人の話を聞きながら、何か初めて私自身がひそかに思っていたことを、代りに喋って貰ったような気がした。 私は朝、庭で拾った柿の葉を鳥見に見せた。/「こんな綺麗なものがあるのに、これを楽しんじゃいけないなんて道理はない などのように、むしろ感傷や感覚を擁護しているように思われる。こちらの考え方が、挿話群全体を通しての私2の立場であろう。

なぜ、本挿話でのみ、私2は上記のような考えを持つことになったのだろうか。一つの可能性として、高村みゆきのぎりぎり本気な状態に共感するための伏線であることが考えられる。しかし、そうすると、一つの挿話の中での要求によって登場人物の性格が変えられるということになり、単行本版あとがきのもちろん同色の挿話Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ・・・・・・は、ある物語的な進行を示しますし、直接物語的な進行を持たない場合には、主人公の内的発展が辿られるはずですと合わなくなる。なので、現在のところ、この問題に対しては、理由不明として置かざるを得ない。


更新:2012.11