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赤い扇


書誌

シリーズ
青い場所からの挿話 XIV
所収
『椎の木のほとり』中央公論社, 1988
『椎の木のほとり』中央公論社(中公文庫), 1993
初出
『海』16巻4号(1984年4月号):初出時のタイトルは「父への手紙」

設定

舞台
東京
アイテム
もと桜田の別荘で朝代と見た満月の青い光
時代
1937年12月~1939年9月以降

人物

私2
本文中では「私」。
私1
本文中では「父上」。
本文中では「母上」。
私3
私2と当麻朝代の息子。
桜田房之助
桜田家前当主。故人。私の遠縁。
桜田八重
房之助の妻。故人。
桜田弦一郎
桜田家の現当主。
松野八重
桜田家の女中。
仁木
本文中では「仁木叔父」。母の弟。
良子
私2の従姉。
瀬木道雄
帝国大学文科大学独文科助教授。私の遠縁。
瀬木梓
瀬木道雄の妻。
当麻朝代
私2の妻。桜田八重の従姉の娘。
西村
最後の引き揚げ船でヨーロッパから帰国。

考察

暦年代との対応

本挿話は、私2から私1への4通の手紙で構成されている。

第一の手紙

第一の手紙では、青XIII私2が大学講師の口を断ったことを受けて瀬木道雄が訪ねてくることが語られる。また、手紙の最後の場面は、東京より四、五日早い桜が見頃になった四月初めのことなので、この手紙には、青XIIIの直後、1937年12月から、翌1938年の4月までの出来事が書かれていると判断できる。

ここで問題になるのは、手紙中に引用されている瀬木道雄の矢内原さんも河合さんも大学を追われた。の台詞である。帝大教授の矢内原忠雄の辞職は1937年12月であるが、河合栄治郎の休職は1939年1月であるので、手紙の翌年の出来事になってしまう。これを根拠に第一の手紙を1939年とすれば、私2が当麻朝代に初めて会ったのが1939年4月、同じ年の9月には男児出産となり、無理が生じる。そのため、ここでは、上記の河合教授への言及は、作者の書き誤りであるとしておく。

第二の手紙

朝代が来月には出産の予定より、第三の手紙にある私3の誕生の前月、1939年7~8月に書かれたと考えられる。

第三の手紙

男児が無事誕生いたしました。(中略)ドイツ軍のポーランド侵入の日と一致したのはより、私3の誕生は1939年9月1日で、手紙はその後に書かれたことになる。

第四の手紙

文中、とにかくヨーロッパの戦火が世界中に拡がらぬことを祈ること切です。より、太平洋戦争はまだ始まっていないと考えられる。また、筥崎丸に乗られた西村氏に託されたお手紙とあるが、筥崎丸は1940年12月に海軍に徴用されているようなので(参照:The Naval Data Base)、引揚船として使用されたのはそれ以前のことになる。


更新:2012.12